概念法学的じゃなくて自由法学的にしたら、という話。
概念法学っていうのは、まあ
@(実定)法は完璧で、どんな問題に対する解決も想定しているんだって前提に立って
A具体的解決は、法律とか分析したり解釈したりすれば、オールオッケー☆全部導き出せる、つーわけで
B裁判官は自ら法を作ったりすんな、問題を法律とかに照らし合わせることを唯一の課題とすべし!!
というような考え方のこと。
想像できると思うけど、
概念法学の良いとこは、法解釈の客観性と法的安全性(legal certainty)に優れているところ。
つまり、揺らぎとかがなくて安心なのです。
でもその反面、法の内容が固定化され
その適用が形式的・機械的にされて、
流動・変化する社会の現実に適応せず、具体的妥当性(equity)に欠ける。
つまりギクシャクとして杓子定規になりがちってとこがあまり良くない。
そこを批判して出来たのが自由法学。
現実社会というのは多様だし変化もする…
だから制定法では間に合わないのもしょうがないよねって認識のもと、
現実に合わない法律を客観的に適用してもしょうがなくない?
という主張をしてる。
現実社会を正しく秩序付けるところに法本来の機能があるんだから、
法のガチガチな解釈だけじゃなくって創造的機能を認めようって考え。
一応、日本でも両者の組み合わせで裁判は行われてるんだけど…。まあ概念的側面の方が強いかもね。
また制定法(statute)じゃなくて判例法(common law)を第一次的法源にしたら、という仮定の話とも考えられる。
制定法を第一次的法源にするっていうのは・・・まあ平たく言えば、
「いま既にある/ちゃんとした手続を通った法律の解釈でやってこうよ!」
ということで、これは大陸法(civil law)系の特徴。
ちなみに、ここで言う「大陸」っていうのはイギリスから見たヨーロッパ大陸のことで、
ローマ法の影響を受けてるんだよね〜(歴史好き)
それに対して判例法を法源にしてるのは、ゲルマン法の影響を受けた
英米法(common law)系の特徴で、
「筋を通せば、それぞれの判例で解決すりゃいーじゃん!」
ということになる、のかな?
現在日本は大陸法系に属しているから、
これが仮定の話になるってのは分かっていただけたでしょうか?
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